失われたと言うコーヒー焼酎文化を求めて

理事をしているLOCALの学生部でのイベントがあり、現役の室蘭工業大学の学生やOBたちと話す機会があった。僕も室蘭工業大学を卒業している。

僕らや、親族にいる室蘭工業大学卒の人の話では、室蘭での飲み会といえばコーヒー焼酎を飲むのがスタンダードであるように思えた。その文化が最近では失われていると聞いたので驚いた。

卒業から10年くらい経つので、最近の大学周辺の飲み屋情報はさすがにわからないし、僕らがよく通っていた飲み屋も残念ながらいくつか無くなっているのを知っている。しかし、そんなに簡単にコーヒー焼酎文化が消えるのだろうか。

 

コーヒー焼酎って何?という人のために作り方をレクチャーしたい。僕のかなりアバウトなレシピはこんな感じだ

  • 瓶のキンミヤ焼酎(新品)をコップ一杯くらい適当に飲む
  • お好きなコーヒー豆を入れる。もともとの液面の高さになるとOK
  • 数日だったか数週間くらい放置する。色が徐々に変わってくるのを楽しむ。

簡単だ。この方法だと梅酒などの果実酒を漬けるときのように空き瓶を煮沸消毒するなどの手間が省ける気がして便利だ。

僕らが愛した、おぶりがぁどというお店で聞いた話では抽出したコーヒーの液体を焼酎にいれる派閥もあるらしい。

UCC上島珈琲もレシピを公開していることに今日気がついた。米・麦・芋焼酎と合わせるらしい。乙類焼酎と合わせるだなんて乙だな。

https://www.ucc.co.jp/enjoy/shochu/

 

コーヒー焼酎はなんだかスッキリ飲みやすくていい感じなんだ。もし、コーヒーと焼酎の両方が好きなら試してみてほしい。

コロナ禍が終わったら、室蘭工業大学のあたりの飲み屋を訪ねて、コーヒー焼酎文化が本当に失われたのか確認する現地調査をする必要がある。

 

わからないことと向き合う姿勢の違い

わからないこととどう向き合うのかは人によって大きく姿勢が異なるなと思った。

・わからないことを楽しめる人

・わからないことを素直に認められる人

・わからないことをけしからんと思う人

・わからないことを不安に思う人

いろんな人がいるけど、こうしたところが大きくズレてて噛み合わないことがあるね〜と思ったのだった。僕は、わからないことを楽しめる人でありたい。

 

一流の人を門外漢がどう見分けるのか

一流の人を門外漢がどう見分けるのかという話を考えていた。結構難しい話題だなと思った。何の一流の人なのかについてはあまり特定の分野の話ではなくぼんやり考えている。
門外漢としてその人が一流なのか判断するのは、評判なのか、論文や書籍なのか、肩書なのか、人柄なのか、専門医などの認定制度なのか、セキュリティスペシャリストなどの資格なのか、それらの組み合わせなのか。自分の中には明確に言語化できる基準はないと気がついた。
 
逆に外してはいけない、かんたんに言語化ところもあると思う。明らかに間違ったことを言っている人をフィルタリングする能力は少なくとも持っておきたいと思う。
 

オフラインの人々に取り残されるオンライン民

オフラインで人々が集まってて、僕はその場に参加するURLをもらえておらず難民になっている。カレンダーにはURLが書かれていなかった。仕方ないのでまったりしている…ということがあった。

前回はURLがないことがこんなに心細いことか…と思ったのだが、今回は慣れたので他の作業をしている心の余裕が少しばかりあった。僕は逆の立場でも、取り残される人がいないように取り計らえるようでありたい。そう思った

おうちVPN

aws.amazon.com

おうちECS Anywhereクラスタを組みたいと思ったので、この記事は大変いいインプットになった。我が家には初期セットアップをしたが特に何も動かしていないRaspberry Piがある。そんなに活用できていなかったIX2105もある。よし、これはおうちECS Anywhereクラスタを組むのを目標としつつAWSVPN張って遊んだりもしよう。ということでやった。

jpn.nec.com

やりましたと言っても、上記記事を参考にして新しいVPCVPN使うシナリオで立てて、設定ファイルダウンロードしてIXに投入したらほとんどできた。安価で固定IPもらえるプロバイダと契約してPPP設定も入れた。ネットワーク機器の設定をどう管理していくのが良いのかわかっていないけど、今の所は原始的な方法でなんとかなっている。遊ぶようにネットワークの勉強をして、ステイホーム生活をさらに楽しくしていけそうだなと思った朝だった。

仕事の範囲

家での自分の家事の範囲はどこまでだろうと悩んだことがあった。全部じゃん?って思うようになり、楽になった
仕事でも同じ事を思ったことがある。今は役員になったので全部じゃん?と思うのだが、かつては苦しんだ内容だった。

ここまでやっていればいいだろうという自分の勝手な線引きが間違っていると上長から指摘される経験があった。最近は立場が変わり上長として指摘する経験をすることになってしまった。(気持ちのいいものではなかった)
各自に対する期待を明確にしてくれていた、かつての上長のことを思い出して、自分も明確に期待を伝えていけるようになろうと思った。

英語を読むためのMP

今の人たちにMPと言って伝わるのだろうか。

仲間うちでBPF Performance Toolsの輪読会をしている。担当のときは事前になんとなく読んでおいて当日読み上げていく形だ。

DeepL翻訳でそれっぽい文量を訳しておいても、意外とサクサク進むと訳していたところが不足してしまうことがある。そういうときに、MPいやスタミナと言う方がいいのかな。スタミナがあるときは英文を見てすぐに脳内で適当に訳して「〜〜と、こんな感じのことが書いてありますね。」と進めることができる。しかし最近は残存するスタミナが少ないか、枯渇などを起こしているようで即興的に訳すことができない。

余裕がないか、徐々に老化しつつあるか、英語が苦手になっているのかもしれない。文字の英語に触れる機会を増やしたくなった。