まとめ
良い本だと感じた。タイトルの通りの内容だったと思う。アジャイルまわりの前提知識があると読みやすくなるのは言うまでもないだろう。
"最適化という名の呪縛"という言葉と考え方を得られたのが、本書を読んで一番良かったことかもしれない。
ここは読まなくてもいいセクションです
他の本に寄り道する必要があったので、読了までかなりの時間を要してしまった。本当なら一気に読んでしまいたいテーマだったのだが。
以下は読書中のメモだが、冗長な表現と思ったところをバッサリとシンプルに書き直したりしているので、本から一言一句コピーした文言ではなく、オリジナルと乖離してる可能性があることに注意されたい。また、本の全てをメモしているわけではなく、自分が必要だとか、良さそうと思った部分を抜粋している。
何を探索するのか
組織は顧客の状況や置かれている前提が変容している可能性を常に検知しようとしなければならない。この探索に時間を投じていない組織は顧客からやがて相手にされなくなる。いつまで経ってもサービスの質が変わらない、変化に取り残された業界。(になってしまう
組織の芯を捉え直す問い
自分たちの組織を取り巻く環境、社会に対して立ち遅れていると感じることは何か?
デジタル利活用を前提とした社会や環境に適した組織、組織活動とはどのようなものか?
あなたの組織で探索しなければならないこととは何だろうか?
新たな取り組みを始めようとしたときに、真っ先にぶつかる組織の制約とは何か?また、それはなぜ起こると考えられるか?
最適化という名の呪縛
思考や判断、行動を縛り付ける呪縛の本質は最適化
方法の最適化が減点主義路線となるのは自明だ。
方法の最適化
標準からの逸脱は許されない。誰がやってもアウトプットが同じになるので外部へ委託できるようになる。最適化は外部の組織にまで広がり硬直していく。外部へプロセスを委託すると自組織から、その分の理解を切り離し、消失させることになる。仕事全体への理解が分断されるので、やってることの中身がわからないことが増える。仕事の説明は厚く長くなっていく。この時点で探索の志向性とは完全に直交する
体制の最適化
関係間で間違いを起こさないようにするには、情報の受け渡しが少なく済むようにすればいい。チームを超えた絡みが減るようにきっちり分業に徹するようになる。独立した状態を作っていくと、仕事が増えた場合にどう対処するかが問題になる。そして兼務が増える。兼務により仕事の仕掛りが増え、一人の人間がさばける仕事量は相対的に減り、組織全体としての速度を落としていく。
道具の最適化
間違わないためには、迷わないようにしなければならない。使うツールも標準で定めておくべきだ。道具の最適化とは固定化ではない。常に状況に適した道具とは何かと見直し、より効果と効率の良いものにアップデートしていくことである。方法や体制に比べてツールはさらに足が速い。時とともに時代遅れになり、自組織の効率性を知らぬ間に落としているということがざらにある。
最適化の最適化は止まらない
3つの最適化で鍛え上げてきたプロセスは、何が正解かわからない問題には手も足も出ない。得られたインプットから期待するアウトプットまでいかに正確に早くたどり着くかの手順でしかないのだから。目指す方向性がわからない中で、標準を守り抜いたところで「間違ったこと(役に立たない、意味がないこと)を正しくやる」域を出ることはない。こうした事態に直面して、極めて芳しくない結果を評価するのだから、当然仕事の進め方自体を見直す必要に迫られる。しかし「間違わない」ための強化が取られる。「やっていることがそもそも正しいのか?」という問い直しではなく、「やっていることが正しくなるための改善」が選択される。評価基準も評価者のメンタリティも変わらないとしたら、結果の評価も変わらないことになる。
目的を問い直す
組織は戦略に従い、戦略は意図に従う
意図とは組織が存在する意義に値する。組織が自ら定義するだけでは成り立たない。社会や環境と適合した意図でなければ、その存在が受け入れられないことになる。ゆえに、意図に立ち返り、どうあるべきなのか、どうありたいのか、「われわれは何者なのか?」を自ら問い直す必要がある。もちろん、組織の意図は社会や環境とのキャッチボールとなるから、継続的に立ち返らなければならない。これまで、誰も意図や方針の根本まで問い直す機会がなかったとしたら。組織の芯を捉え直す力が弱く、存在さえしない可能性がある。かくして組織は不思議な状態を現し始める。芯(これからの意図、それに即した方針)がなく、外周の現場活動のみが問題を抱えて右往左往する、まるでドーナツのような組織。
組織の中心に何を据えるのか
厄介なのは標準をただ書き換えればよいというわけではないということだ。言語化された表記を超えて、時間とともに組織の中で育まれてきた方針、戦略は紙ではなく人に宿る。人と人の間の「認識」として形成され、組織の「意図」をさえ塗り固めていく。私たちは、人の「意識」の更新に挑まねばならない。ある意味で「遺産」とも言える。組織の「今」を背負った者たちには存在しない「記憶」が、時を超えて私たちを方向づけ続ける。これまでの「方針」では直面する状況に勝ち目がないことを、もっというとこれまでの意図も組織を取り巻く社会環境ともはや合致していないことを、誰もがほぼ気づいているというのにだ。
この不本意な旅を続けているのは、「標準」と「最適化」に代わるものを持ち合わせていないからである。
目の前の現実を正しく解釈し、適した意思決定と行動をとる。そのためのすべを1つのチームや部署にとどめるのではなく、経営から現場にいたるまで新たに宿さなくてはならない。
アジャイルはソフトウェア開発の文脈において、「探索」と「適応」のために確認され育まれてきた智慧なのである。
組織はアジャイル開発の夢を見るか
ソフトウェア開発のアジャイルが、組織運営に適用できるのか?実はそのままではうまくフィットしないところがある。運用の仕組みレベルでの工夫が必要であり、「最適化」のメンタリティが行く手を阻む。
個々人が分断された状態で、アジャイルのタイムボックスを回しても欠落感を感じることになる。自分の手元の仕事を超えて他者とともにあろうとする理由がないのだ。共通の目標などがない。「われわれはなぜここにいるのか」への回答がないのだ。
ソフトウェア開発は共通の目標を作りやすい。なぜ目標設定の方法であるOKRがもてはやされるのか。自分たちのあいだで認識し、作用できるObjectivesが存在しなかったからではないか。
組織の芯を捉え直す問い
・方法について過度な最適化が起きていないか?遵守するのが目的になっている標準は存在しないか?
・体制について過度な最適化が起きていないか?分業により同僚が何をしているのかまったくわからないということはないか?
・道具について過度な最適化が起きていないか?
・組織の意図と方針は社会や環境に適したものになっているか?
・組織の中で当たり前の認識になっていることに何があるだろうか?
3章自分の手元からアジャイルにする
探索と適応を繰り返し、そこから効率良く勝てる道筋を見極め、最適化へと進む。大事なのは最適化から再び探索へと戻るルートを開拓することだ。
ふりかえりだけでは、目先に焦点が向く。
むきなおりで意図的に目線を上げて遠くを見るようにし、到達したいところと現状との比較を行うようにする
むきなおりこそ、最適化への最適化から道を外すための最初のきっかけになる
それぞれの仕事の前提に共通の意図をおかねばならぬ
関心は意図によって近接しうる
関心は組織をめぐる血液となる
私たちは何もなくとも定期的にお互いの状況を同期し、共に目指す方向性を確かめることをしなければ、ともにあるという状況を、つくることができない